校章
校章について
石橋南小学校区内にある、宮の前遺跡にちなんで、弥生式土器の形の中にインターチェンジを象徴する曲線を配して、近代社会を表しています。
中央の水色は、前池跡に学校が建ったことを示し、曲線は黄、3つの三角形は赤と指定されています。(デザインは、田淵隆彦氏による)
校歌
池田市立石橋南小学校 校歌
作詞:伊藤海彦 作曲:平井哲三郎
1
はてしなき あすへと みのる わが ゆめは
くも ちりばめて なお あおき
かがやく そらの つげるもの
ほこらかに ああ こころ かかげて
いざ ゆかん ともよ ひとつの みちを
2
はてしなき あすへと ひびく わが うたは
いろ とりどりに さきみちて
あふれる はなの つげるもの
たからかに ああ こえを そろえて
いざ ゆかん ともよ ひとつの みちを
3
はてしなき あすへと つづく わがたびは
やみ つらぬきて ひとすじに
またたく ほしの つげるもの
のびやかに ああ あしを ふみしめ
いざ ゆかん ともよ ひとつの みちを
この石何の石?
石橋のいわれ石
正門を入った右手に「石橋」の由来を伝える「石」があります。
解説には、下記のように記されています。
「石橋」のいわれ石
この石は、石橋駅南の最初の踏切を通る旧西国街道と旧能勢街道が交差する西側の小川にかかっていた石の橋で、明治40年(1907年)ごろまでは、幅2間(約3.6m)長さ1間の一枚板でした。
石の中央にある浅い孔は、明治維新の時(1863年)に失脚(失敗して地位を失うこと)して京(今の京都)の都を追われ長州(今の山口県)にのがれる途中、この石橋の上で実美が馬をとめて、京都の空に向かって静かに祈ったときに、できた馬の蹄のあとであると伝えられています。
この石は、石橋駅南の最初の踏切を通る旧西国街道と旧能勢街道が交差する西側の小川にかかっていた石の橋で、明治40年(1907年)ごろまでは、幅2間(約3.6m)長さ1間の一枚板でした。
石の中央にある浅い孔は、明治維新の時(1863年)に失脚(失敗して地位を失うこと)して京(今の京都)の都を追われ長州(今の山口県)にのがれる途中、この石橋の上で実美が馬をとめて、京都の空に向かって静かに祈ったときに、できた馬の蹄のあとであると伝えられています。