台湾との交流を振り返って
- 公開日
- 2025/06/17
- 更新日
- 2025/06/17
日々のできごと
6年生は明日から修学旅行です。ここで「リアルタイム報告」をいたしますので、ぜひこまめにご覧下さい。
さて、先週の台湾の小学生との交流について、毎週火曜日にある児童集会でいろいろと話そうかなと思い、原稿を用意していましたが、よく考えたら今日は児童集会が予定されていませんでした。せっかくなので、以下に原稿を掲載します。台湾と日本の関係について、意外と大人も知らないことが多いので、半分は先生方に向けて語るつもりで用意していました。
おはようございます。
明日から2日間、6年生は広島に修学旅行に行きます。80年前に人類史上初めて原子爆弾が投下された広島で、平和についてしっかりと考えてきたいと思います。
ところで、先週の台湾の小学校との交流、改めて素晴らしかったと感じています。お互いの吹奏楽の演奏で、たとえ言葉が分からなくても、人と人とはつながることができるのだと感じました。台湾の先生方からも、石橋小学校の子どもたちが笑顔で迎えてくれたこと、吹奏楽部の演奏が素晴らしかったことなど、たくさんお褒めの言葉をいただきました。
実は日本と台湾にはいろいろと歴史があります。
・1895年、日清戦争での日本の勝利により、清(今の中国)から割譲された。
・1945年、太平洋戦争の日本の敗戦により、日本から「中華民国」に編入された。
つまり、戦争がきっかけではありますが、50年もの長い間、台湾は日本の一部だったわけです。そのため、今でも、おじいちゃん、おばあちゃんの世代は、日本語が話せる人がたくさんいるそうです。
日本が植民地として支配していましたので、日本が台湾の人たちに大変な思いをさせていたこともありますが、一方で、学校を作ったり、道路や橋を作ったり、病院を作ったり、台湾の発展のために日本が頑張ったこともたくさんあります。特に、八田與一(はった よいち)という人が進めたダムの建設は有名で、1930年に10年かかって完成した、当時東洋一と言われた烏山頭ダム(うさんとうダム)は、別名「八田ダム」と呼ばれ、水不足や洪水を防ぎ、またダムの水のおかげで農作物もたくさん採れるようになるなど、台湾の人々の生活を守り、また台湾の発展の役に立ちました。残念ながら日本ではあまり知られていませんが、八田與一さんは今でも台湾で、とても尊敬されているとのことです。
台湾も日本も地震の多い国です。阪神大震災のときも、東日本大震災のときも、台湾は大きな支援をしてくれました。一方、台湾で地震が起きたときには、日本もできる限りの支援をするなど、お互いに助け合っています。
2011年の東日本大震災のあと、こんなエピソードがありました。ある人が台湾製のパソコンを修理しようと中を開けたところ、部品に「GOD BLESS JAPAN」と印字してあったそうです。日本語にすると「日本に神様の祝福がありますように」ということです。普通、見ることのない部品に、復興への祈りの言葉が書いてあった、というのは、本当に素敵な話だと思っています。
台湾を旅行したことのある人は、みんな「台湾の人は親切だった」「日本のことを大事に思ってくれている人がたくさんいた」と言います。それを聞くたびに、ありがたいことだなあと思っています。
今回、そんな台湾の子どもたちと交流ができた、ということは、本当にすばらしいことです。石小の子たちには、ぜひこの機会に台湾に興味を持ってほしい、そしてこれからの台湾と日本の友情の輪を広げてほしい、心からそう願っています。
校長 柏