平和の像

とこしえに平和を

「平和の像」建立の取り組み

1985年秋、卒業に向けての6年生企画委員会が組織され、卒業アルバム・文集の編集や、お別れ会、卒業制作についての話し合いが始まった。
 その頃、ラジオで、被爆した広島市役所が建てかえのため取りこわされること、その被爆石を平和に役立ててほしいことが報道された。
その石を使って、何か、卒業制作ができないだろうか。6年生の企画委員会、学年会、そして、職員会議で、それぞれ話し合われ、「平和の像」建立に向けての取り組みが始まった。
 まず、教職員が燃えた。夜を徹して広島までトラックを走らせ、4人の教職貝が被爆石をもらって来た。
このことは、その後の「平和の像」制作に夜遅くまで取り組んだ多くの教職員の姿へとつながり、子どもたちにやる気をおこさせることにつながっていった。
 児童会が中心になった子どもたちの取り組みも、それは、みごとだった。
「平和の像」制作指導には、彫刻家の金城実氏(当時、西宮西高校、近大附属高校講師)、被爆石を使っての台座作りと周辺整地には、造園家の片山静一氏が、多大な援助をしてくださったのは、教職員と子どもたちの「平和の像」にかける熱意が理解されたためだろうと思われる。

「平和の像」の完成まで

1986年
1 18 代議員会で「平和の像」建立を決定する。
1 20 全校平和集会(講師 金城実氏)
    平和教育研究会(講師 金城実氏)
1 24 代議員会で、具体的活動内容について話し合う。「平和の像」のスケッチ・建立場所・資金集め
1 27 「平和の像」のスケッチ・建立場所等記入用紙回収
    代議員・児童会役員で集計開始。
    「平和の像」建立募金活動開始(〜30)
    資金作りのための不用品回収活動開始(〜2.1)
2 13 代議員会で、広島への修学旅行に向けての取り組みについて話し合う。(千羽鶴を折る活動)
2 15 「平和の像」のスケッチ・建立場所・資金集め等の集計完了
2 17 全校児童による千羽鶴折り始まる(〜19)
    「平和の像」のかたちが決まる
2 22 代議員会で、添喰ねり作業について話し合う
2 24 児童集会で、全校児童が願いを込めて折った千羽鶴を6年生へ手渡す
    漆喰ねり作業準備
2 26 6年生、広島へ修学旅行(〜27)
    (元安川で石拾い)
    5年生、2年生、漆喰ねり
2 27 4年生、3年生、漆喰ねり
2 28 6年生、1年生、漆喰ねり
3 1 代議員会で、漆喰を使っての制作について話し合う
3 3 漆喰を使っての制作作業開始
3 11 全校平和集会で、これまでの取り組みをまとめ、意思確認する
3 12 全校平和集会で、広島修学旅行から持ち帰った石にひとりひとりが平和の願いを書き、「平和の像」の台座(広島市旧市役所の被爆石)に納める
3 18 (卒業式)平和を誓う会 「平和の像」除幕式
    

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