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芝すべり、土鈴の絵付け
- 公開日
- 2025/06/19
- 更新日
- 2025/06/19
日々のできごと
午前中のアクティビティは、芝すべりと土鈴の絵付け。
「臨海学舎ひと月前ですから、くれぐれも無茶をしてケガをしないように!」と注意してスタート!
宿舎前の芝の斜面を、そりなどを使ってひたすら滑る!とにかく滑る!シンプルに転げ回るというのは楽しいですね。
それから土鈴の絵付け。アクリル絵の具を使って、それぞれカラフルに絵付けを楽しみ、すてきな作品ができました。
このあとは昼食。お楽しみのカレーです。
校長 柏
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【修学旅行】雄橋(おんばし)、それから白雲洞散策
- 公開日
- 2025/06/19
- 更新日
- 2025/06/19
日々のできごと
朝食後、バスに乗って移動し、清流沿いの道を1kmほど歩いて雄橋(おんばし)へ。若葉がとてもきれいでした。
雄橋は、水面からの高さ40mを誇る、石灰岩でできた天然橋。「まだ着かないの〜?」などと言いつつ、その壮大な勇姿が見えると、「写真で見るのと全然違う!」と、思わず口を開けたまま、「うわ〜!」と、みんなでのけぞるように見上げました。
写真で見るのと全然違う。それはとても大事な感覚ですね。
川でしばらく水切りを楽しみ、それから白雲洞という小さな鍾乳洞にも寄りました。今日は朝から暑い日ですが白雲洞の中はとても涼しく、ちょっとした地底探検気分でした。
バスで宿に戻り、これからアクティビティを楽しみます。
校長 柏
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【修学旅行】2日目の朝
- 公開日
- 2025/06/19
- 更新日
- 2025/06/19
日々のできごと
おはようございます。2日目の朝です。快晴です。
子どもたちは6時半起床、7時から朝の体操でした。
秋吉台ほどではないですが、帝釈峡もカルスト地形のため、ところどころに石灰岩が顔を出しています。
「校長先生、これってサンゴなどの化石を含んでいるんでしょう?」と言ってきた子がいました。そのとおり。そしてここが海の底が隆起してできたのだと考えると、とても不思議な気がします。
さわやかな朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、2日目スタートです。
朝ごはんは、これまたビュッフェ方式のため、それぞれ好きなものを楽しそうに食べています。
今日はこのあと、バスで移動し、帝釈峡雄橋を目指します。
校長 柏
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晩ご飯とおみやげ、そして満天の星空
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
日々のできごと
休暇村帝釈峡には予定より少し遅れて到着。
夕食はビュッフェ方式で、子どもたちはとても楽しみにしていました。
いただきますをしたら、各自好きなものを好きなだけ取りに行くのですが、普段「好き嫌いなく食べなさい」とか、「栄養のバランスを考えて食べなさい」と言われているであろう子たちが、「どうぞお好きに召し上がれ!」と言われるのですから、もう食欲全開!という感じでした。
食べているところを見て回ると、ポテト山盛りに枝豆とか、唐揚げと焼きそば大盛りとか、これまた夜の石橋駅界隈?という感じのチョイスをしている子があちこち。飲み物はメロンソーダ、それからデザートはアイスとケーキ。子どもパラダイスです。まあたまにはこういうのもいいでしょう。
食事のあとは、入浴とおみやげタイム。これもまた楽しそうでした。「いろいろ買って、あまりは40円でした!」と言っている買い物上手な子もいました。
9時過ぎからは、宿の裏に移動して、星空観察。私が解説役でしたが、文字通り降るような星空でした。
北斗七星、そしてアークトゥルス、スピカと並ぶ「春の大曲線」、それからデネボラを加えた「春の大三角」もくっきりと見えました。
アークトゥルス、火星、それからさそり座のアンタレスと、赤い星も3つ観察できました。流れ星!と言っている子もいました。人工衛星もいくつか見えました。
星の解説役をこれまで何度もしてきましたが、過去最高の星空。眺めていると不安になるほどの星空でした。ラッキーな子どもたちです。
その後、実行委員会議、班長会議を終えて就寝。朝早かったし、ちゃんと寝てくれるかな。
校長 柏
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【修学旅行】被爆体験講話、それからモニュメントめぐり
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
日々のできごと
資料館見学のあとは、被爆体験講話を聞きました。
これまで何度も被爆者の方のお話を聞いてきましたが、戦後80年が経ち、被爆当時10歳だった方でも今年90歳。さすがに被爆体験者から直接お話を伺うことが簡単ではない時代となってきました。そして本校では、今回初めて「被爆伝承者」の方からお話を聞くことになりました。
伝承者のBさんは、被爆者の「寺本貴司」さんからお聞きした話を元に、さまざまな資料も使いながら、分かりやすくお話をしてくださいました。
子どもたちもきちんとお話を聞き、「胸が一杯になった」とか「聞いた話を次は私が誰かに伝えたいと思う」など、ふりかえりと感想をきちんと言うことができました。
未来をつくる子どもたちの胸に、寺本さん、そしてBさんの思いが深く刻まれたことと思います。
その後、班ごとに平和公園のモニュメントめぐりをしました。私が行動を共にした班は、追悼記念館に入ったり、平和の鐘を鳴らしたりしたあと、5年生の国語で学んだ『たずねびと』に出てくる「原爆供養塔(土まんじゅう)」を訪れました。もちろん納骨名簿から「楠木アヤ」さんの名前を見つけるためです。そして「あった!」の声が。物語が一気に現実とつながった瞬間でした。
「原爆で14万人が亡くなりました」そんなふうに数字だけで考えるのではなく、一人ひとりにはそれぞれの名前があり、家族があり、ささやかな生きる喜びがありました。それを奪った戦争というもの、原爆というものについて、子どもたちは子どもたちなりに考えることができたと思います。
16時過ぎにバスは広島を発ち、帝釈峡へ向かって出発しました。映画を楽しんでいる子もいれば、今朝は早かったので、うとうとしている子もいます。(今は静かですが、あんまり寝てしまっても夜寝られなくなるので悩ましいところ)
校長 柏
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【修学旅行】平和記念資料館見学
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
日々のできごと
昼食のあと、慰霊碑の前で集合写真を撮り、平和記念資料館へ。
私は6年生を担任することが多かったので、恐らく10数回資料館には来ていますが、数年前に大規模改修されてから、ずいぶん展示の雰囲気が変わった気がしています。
以前の展示と比べると、「人」や「家族」に焦点を当てた展示方法になっていると感じました。ボロボロになった遺物ひとつひとつに、それぞれの人生があり、生きる喜びがあったはずで、それを奪った原爆への憤りを強く感じました。
間違えてはいけないのは、戦争だからといって何をしてもいい訳ではなく、民間人を無差別に殺傷した原爆は、その存在そのものが、戦時国際法違反であることです。日本人としてその事を忘れてはならないと改めて思いました。
暗いトンネルのような展示室を抜けると、平和公園の明るい景色が一気に広がります。いつ来てもそのギャップに戸惑わずにはいられません。
明日はここに天皇陛下が来られるということで、慰霊碑の前にはテントが張られています。混沌とした世界情勢の中、平和への祈りが静かに捧げられるのでしょう。
子どもたちの未来が明るい、平和なものとなりますように。
校長 柏
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【修学旅行】広島に到着
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
日々のできごと
時間通りに広島に到着。暑すぎるくらいの晴天。
さっそく原爆の子の像に移動し、平和のセレモニーを持ちました。誓いの言葉、そして「折り鶴」を歌い、みんなで折った千羽鶴を捧げました。
その後爆心地、そして原爆ドーム、平和の灯、原爆慰霊碑を回って、これから昼食(広島のお好み焼き!)です。
校長 柏
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【修学旅行】龍野西SA
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
日々のできごと
最初の休憩場所、龍野西SA。
私は2号車に乗ってますが、子どもたちはごきげんに歌いまくっています。夜8時過ぎの石橋駅界隈みたいな感じです。
時計を見ると、まだ7時台やん!それも朝の!みたいな感じで。
空は曇り空。去年はこの先岡山を抜けるまでが渋滞ポイントでした。スムーズに行きたいものです。
校長 柏
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【修学旅行】出発しました
- 公開日
- 2025/06/18
- 更新日
- 2025/06/18
日々のできごと
おはようございます。
修学旅行の朝です。朝6時にアゼリアホールに集合でしたが、すでになかなかの暑さです。
例年秋実施の修学旅行ですが、今年は梅雨時の実施で、雨模様を心配していましたが、天気予報を見る限り大丈夫そうです。
この学年はいつもごきげんさんな雰囲気ですが、バスの中はいつもにも増してテンション高めです。今日から2日間、仲間と協力してしっかり学び、元気に活動してほしいと思います。
写真は出発式のようす。四つ葉のクローバーは見送りに来られた方が下さったもの。子どもたちの2日間が、安全で思い出深いものとなりますように。
校長 柏
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台湾との交流を振り返って
- 公開日
- 2025/06/17
- 更新日
- 2025/06/17
日々のできごと
6年生は明日から修学旅行です。ここで「リアルタイム報告」をいたしますので、ぜひこまめにご覧下さい。
さて、先週の台湾の小学生との交流について、毎週火曜日にある児童集会でいろいろと話そうかなと思い、原稿を用意していましたが、よく考えたら今日は児童集会が予定されていませんでした。せっかくなので、以下に原稿を掲載します。台湾と日本の関係について、意外と大人も知らないことが多いので、半分は先生方に向けて語るつもりで用意していました。
おはようございます。
明日から2日間、6年生は広島に修学旅行に行きます。80年前に人類史上初めて原子爆弾が投下された広島で、平和についてしっかりと考えてきたいと思います。
ところで、先週の台湾の小学校との交流、改めて素晴らしかったと感じています。お互いの吹奏楽の演奏で、たとえ言葉が分からなくても、人と人とはつながることができるのだと感じました。台湾の先生方からも、石橋小学校の子どもたちが笑顔で迎えてくれたこと、吹奏楽部の演奏が素晴らしかったことなど、たくさんお褒めの言葉をいただきました。
実は日本と台湾にはいろいろと歴史があります。
・1895年、日清戦争での日本の勝利により、清(今の中国)から割譲された。
・1945年、太平洋戦争の日本の敗戦により、日本から「中華民国」に編入された。
つまり、戦争がきっかけではありますが、50年もの長い間、台湾は日本の一部だったわけです。そのため、今でも、おじいちゃん、おばあちゃんの世代は、日本語が話せる人がたくさんいるそうです。
日本が植民地として支配していましたので、日本が台湾の人たちに大変な思いをさせていたこともありますが、一方で、学校を作ったり、道路や橋を作ったり、病院を作ったり、台湾の発展のために日本が頑張ったこともたくさんあります。特に、八田與一(はった よいち)という人が進めたダムの建設は有名で、1930年に10年かかって完成した、当時東洋一と言われた烏山頭ダム(うさんとうダム)は、別名「八田ダム」と呼ばれ、水不足や洪水を防ぎ、またダムの水のおかげで農作物もたくさん採れるようになるなど、台湾の人々の生活を守り、また台湾の発展の役に立ちました。残念ながら日本ではあまり知られていませんが、八田與一さんは今でも台湾で、とても尊敬されているとのことです。
台湾も日本も地震の多い国です。阪神大震災のときも、東日本大震災のときも、台湾は大きな支援をしてくれました。一方、台湾で地震が起きたときには、日本もできる限りの支援をするなど、お互いに助け合っています。
2011年の東日本大震災のあと、こんなエピソードがありました。ある人が台湾製のパソコンを修理しようと中を開けたところ、部品に「GOD BLESS JAPAN」と印字してあったそうです。日本語にすると「日本に神様の祝福がありますように」ということです。普通、見ることのない部品に、復興への祈りの言葉が書いてあった、というのは、本当に素敵な話だと思っています。
台湾を旅行したことのある人は、みんな「台湾の人は親切だった」「日本のことを大事に思ってくれている人がたくさんいた」と言います。それを聞くたびに、ありがたいことだなあと思っています。
今回、そんな台湾の子どもたちと交流ができた、ということは、本当にすばらしいことです。石小の子たちには、ぜひこの機会に台湾に興味を持ってほしい、そしてこれからの台湾と日本の友情の輪を広げてほしい、心からそう願っています。
校長 柏