「希望」を感じる卒業。
- 公開日
- 2022/03/12
- 更新日
- 2022/03/12
お知らせ
卒業式から一夜が明けました。今までの卒業式は『「別れ・涙」がクローズアップされ、「ハッピーエンド」で物語が終わる』事・・が求められ(学校文化がつくってきた?)、これをやはり「例年踏襲」を繰り返し繰り返し行ってきたように思います。「卒業」という何となく切ないフレーズや、友達との別れなどで流れる涙(このこと自体は素敵な事だと思います)が、全てを帳消しにしてしまい、教職員も「よかったよかった」と「自己満足」で終わってしまっていた感じがします。
たとえば、昨年の体育祭は自分達で作る最初の体育祭。終わった後、生徒会本部はやり切った感で涙を流していました。しかし、今年度、2回目になると苦労はしましたが、もうできて当然・・と言う感じで、「お疲れ!」「お疲れさん!」で終わりました。そういう意味でも「行事」は「目的」ではありません。「例年踏襲」の弊害は「目的と手段のはき違え」です。「手段が目的化してしまう」事で、また負のループに陥ってしまいます。
今年の「卒業」は「卒業する事」が目的ではない事を、生徒が教えてくれたように思います。「別れ」よりも「希望」を大きく感じさせてくれる「卒業」でした。
*画像上は卒業式前に生徒提案から作られた「感謝の桜」。下は私学受験前に生徒と先生で何かできないかな、という中つくられた「合格祈願鳥居」です。