アテネオリンピック 水泳(バタフライ)銅メダリスト 中西悠子さんをお迎えして
- 公開日
- 2025/07/07
- 更新日
- 2025/07/07
日々のできごと
大阪府のオリンピック選手派遣事業に当選して、本日、本校出身のアテネオリンピック銅メダリスト、中西悠子さんをお迎えしての出前授業を持ちました。今回大阪府で1校のみの派遣ということで、非常にラッキーでした(出身校だから選ばれたわけではなく、公正に選考されたとのことです)。
2時間目は、全校児童が体育館に集まってお話を聞き、3時間目はプールにて、臨海学舎を前にした6年生に実技講習をしてもらう、というプログラムでした。
2時間目、全校児童が体育館に集まり、まずは私のあいさつということで、簡単に中西さんのご紹介を。
中西さんは、シドニー、アテネ、北京の3大会連続でオリンピック出場を果たし、2004年のアテネでは200mバタフライで銅メダルを獲得。日本記録だけでなく、世界記録も作ったことのある、つまり世界一になった経験のある方です。昨年、本校吹奏楽部が全国大会金賞を取りましたが、目標に向けて、夏休みも休まずに練習をしていましたね。今日は、世界の頂点を目指すということがどういうことなのか、どんな努力をしたのか、その苦しさとか喜びとか、そんなお話が聞けたらと思います、という感じで中西さんにお話をつなぎました。
中西さんからは、アテネオリンピック決勝のときの動画を見せていただき、その時の感想とか、水泳を始めたきっかけとか、中学時代の苦しかった経験とか、小4の作文に「オリンピックに出場したい」と書いていたこととか、いろいろとお話を聞くことができました。
「オリンピックに出たい、メダルを取りたいと思い、地球何周分も泳ぎました。多い日には、1日20km泳いでいました。コーチには『魚になるまで泳げ!』と言われていました。」
という言葉に、外国人選手と比べて体格的には不利な中、世界でトップを目指すということはどういうことなのかを垣間見た気がしました。
「これが銅メダルです。本物です。帰るときに触ってもらっていいことにします。ただし、かじったらだめですよ(笑)」
ということで、お話が終わって退場するときに、子どもたちは順番に本物の銅メダルに触らせてもらいました。
中西さんからは、夢を持つことの大切さ、努力することの大切さを教えてもらうことができました。子どもたちの心にきっと響いたことと思います。
3時間目は、場所をプールに移して、6年生対象の実技指導。
専門のバタフライと、「苦手」とおっしゃっていた平泳ぎの模範泳法を見せてもらいました。その後、短い指導時間でしたが、平泳ぎの足の動き、手の掻き方のポイントを教えていただきました。あと、臨海の水泳班1班の子たちが、25mを一緒に泳いでもらいました。大変良い記念になりました。
「今も臨海学舎をしていること、遠泳をしていることは本当にすばらしいと思います。フォームはまだ整っていなくても、とにかく立たずに泳ごうとしているのを感じました」と言っていただけました。
実は、25年ほど前、2000年のシドニーオリンピックに中西さんが出場されることが決まった時に、本校のプールで壮行会をしています。その時に、若手だった私と体育の中心だったN先生が一緒に泳がせてもらっているのです。そして当時の校長先生が、今も低学年サポートとして本校に勤務しているA先生で、中西さんと、その当時のことを懐かしくお話しました。時の流れははやいものです。
「泣きそうになりました」と中西さんがおっしゃっていたのが、校歌斉唱でした。卒業生ですから、きっと懐かしいだろうなと思い、急遽I先生に伴奏をお願いして1番のみを歌ったのですが、石小の子どもたちは、いつも通り体育館の屋根が震えるくらいの大きな声で校歌を歌ってくれました。
「わきあがる」校歌、「わきあがる」子どもたち。在校生も卒業生も実に「わきあがる」学校です。
校長 柏