なぜ「シティズンシップ教育?」。
- 公開日
- 2022/10/18
- 更新日
- 2022/10/18
お知らせ
これも目的は同じです。生徒が主役となり、自分で行動を起こせる事。つまり「指示待ち人間」からの脱却でもあり、ややもすれば「損得を考え、損得し、うまくいかないことは他人のせいにする」という考えになりがちな社会構造を変えるためでもあります。
以下の記事はhttps://news.yahoo.co.jp/articles/b0c57adb2d0d1d27d736befeb0ea3a47be7e0a8f?page=3
「自分たちで考え行動する」
デジタルシティズンシップと聞くと、どうしてもデジタルの方に重きが置かれているように感じる。だが、本質は「デジタル」にあるのではなく、「シティズンシップ」の方にある。デジタルシティズンシップは、「デジタル社会(時代)において社会に参画する力」と読み替えた方が正しく理解できる。
デジタル社会に生きていながら、子供だからといってそれを使わせないような指導には無理がある。そもそも、学習指導要領にある情報モラルは抑制的な指導ではない。例えば「トラブルに遭遇したときの主体的な解決方法について考えさせる学習活動」のように、自分たちで考えることを重視している。それを実践している学校もある。千葉大学教育学部附属中学校では、生徒たちが端末の運用ルールを決めて使っている。そこには、ICTのスキルを身に付けて積極的に活用し、自律的に考えてトラブルを防ぐというポジティブな姿勢が表れている。考え方としてデジタルシティズンシップと同じだ。そもそも、面倒ごとを避けるためにリスクがあるものから子供を遠ざけ、道徳や心情に訴えて行為を思いとどまらせるやり方では、これからの社会で生き抜く力を身に付けることにならない。
子供たちが自律的に考え、行動することはデジタルシティズンシップの基本だが、この運用ルールでは個人情報の書き込みなどの「してはいけないこと」は、はっきりと禁止している。同校副校長の三宅健次氏は「生徒の安全に関わることは明確に指導しなければならない。デジタルシティズンシップの考え方とセキュリティは車の両輪」という考えだ。
「Society 5.0を生き抜く力」
抑制的な情報モラル教育と強制的なルールの下でICT活用が進まず、どうバランスを取ったらよいかと悩む教育関係者は多い。しかし、対症療法的なアプローチでは、納得のいく解決方法を見いだすことは難しいだろう。ここは発想を変え、Society 5.0といわれるこれからの社会において子供たちにどんな力が必要になるのか、その力を付けるためにどんな教育をすべきかを考えてみてはどうだろうか。
現代社会ではデジタルリテラシー(情報活用能力)とメディアリテラシーは必須の能力であり、ICTを活用して協働する力も求められる。デジタル化された社会では、自分の振る舞いが個人としての範囲を超えて社会的に大きな影響を与える可能性があることを考えて行動する必要もある。科学や技術に対する正しい知識がないと、根拠のない情報に踊らされたり、判断を誤ったりする。
次に来るSociety 5.0 時代には、AI(人工知能)やロボットが多くの仕事を代替すると考えられている。そうした時代に生きることになる子供たちは、人間ならではの発想や表現力によってイノベーションを起こす力を持たなければ、機械に使われる側になりかねない。こうした前提の下、育てたい子供の姿を教育ビジョンとして描けば、自然とデジタルシティズンシップ教育やそれに近い考え方に至るのではないだろうか。
*画像上 https://project.nikkeibp.co.jp/pc/atcl/19/06/21/00003/083000380/
*画像下 平井総一郎先生も関わっておられる書籍です。