2学期が始まります1学期終業式8・6平和集会<「はたのっこ」平成29年9月号より再録> 秦野が空爆された日〜「戦略爆撃の思想」を消し去りたい〜 昭和20年3月19日、大阪府内を米軍が空襲し、池田にも爆弾が初めて落とされました。この時、幸いにも池田市での人的な被害はありませんでしたが、昭和20年から本格的に始まった米軍の空爆では、軍事施設ではない市街地や農村部まで深刻な被害を受けました。特に3月10日東京、12日名古屋、13日大阪と続いた大空襲では恐るべき数の市民が死傷しました。日本の軍事製品は小規模な町工場で製造されているから、町を焼夷弾で焼き尽くすことは問題ないというのが米軍の考えでした。こういった軍事施設ではない場所を空爆して、インフラを破壊し、戦意を喪失させる空爆を戦略爆撃と言いますが、これは非戦闘員の一般市民を塗炭の苦しみに陥れる非人道的行為以外の何物でもありません。その究極が沖縄・広島・長崎での市民殺戮でした。「米軍は酷い」と思いますが、戦略爆撃をアジアで最初に行ったのは日本軍でした。昭和13年から中国の首都重慶に218回にわたって空爆を続け、多数の市民を犠牲にしました。これは、ピカソの絵で有名なドイツのゲルニカ爆撃に続く都市部への戦略爆撃の始まりでした。そして、6月7日に第3次大阪大空襲があり、ついに秦野でも犠牲者が出ました。大阪市内に来襲した米軍機は池田にも焼夷弾や小型爆弾を投下し、呉羽の里住宅や府立池田中学校(現池高)を炎上させ、死者3名を出しました。その後、米軍機は五月山を越え、細河を空襲しました。この空襲で池田での死傷者は20人に及びました。この日、秦野では空から襲いかかる米軍機と爆弾、燃え盛る建物の炎、その中を逃げ惑う人々の阿鼻叫喚でこの世とは思われない怖ろしい光景が繰り広げられたといいます。戦略爆撃の究極である原爆投下73年の今年、秦小では8月6日に全校平和登校日を復活し、子供たちと戦争について考えました。私たちは非戦闘員を犠牲にする「戦略爆撃の思想」が世界からなくなることを心から願ってやみません。 ギャラリーはたの・・・4〜6年はたのっ子への緊急連絡 : 夏休みの宿題はありません
例年なら、この時期に夏休みの宿題を頑張って終わらせてい
る子供たちも少なくありません。また、「まだあと3週間あ るさ」とのんびり過ごしている子供たちもいっぱいいる、そ んなころです。 夏休み…いい響きですね。いっぱい遊んで、いっぱいいろい ろな所へ行って、お祭りがあって…夢の宝箱のような5週間。 コロナ禍の今年は、その夏休みが10日間です。 「夏休みの宿題はどうしようか。」私たちは真剣に考えました。 「少しでも勉強の材料を渡しておいたほうがいい」そういう考 えもありましたが、子供たちは8月7日まで、授業を頑張りま す。だから、今年の夏休みは、子供たちに自由に時間を使って もらうフリーな10日間にしようと考えました。 ただし、私たちはこう考えています。「夏休みの宿題がない= 何もしない10日間」ではないということです。この10日間 をどう過ごすか自分で目標と計画を立ててほしいと思います。 「どうやって?」と思われることでしょう。やり方の一例はこ んな感じです。 <ステップ1>→今の自分がどんな自分か考える <ステップ2>→なりたい自分を考える <ステップ3>→そのために10日間でやることを考える 例えば…、 〇夏休み前の自分(A) 「ふだん、家のお手伝い全然やっていない自分」 〇夏休み後の自分(B) 「家でお手伝いをして、みんなから感謝される自分」 〇A から B に変わる方法 「毎日、洗濯物をたたむ」 〇夏休み前の自分(A) 「毎晩、友達とオンラインゲームだけをしている自分」 〇夏休み後の自分(B) 「ゲーム以外にも楽しみを見つける自分」 〇A から B に変わる方法 「夕食後は、家族と遊んだり、しゃべったりする」 授業でこの計画を立てるわけではありません。お家で自分で 考えてみてください。自分で何かを決めてチャレンジし、秘め ていた自分の華を開かせる10日間。コロナ禍の「禍」を「華」 に変える10日間…みなさんのチャレンジに期待します。そし て、夏休みが終わってみなさんから「夏休み、こんな風に過ご してよかった!!」という話をいっぱい聞くことができるのを 楽しみにしています。 ギャラリ−はたの学級活動いろいろ係活動で活性化松ぼっくりちょっとお疲れモード!?つかの間の晴れ間に秦小は命がいっぱい・・・サワヤン・・・ほんまやったら・・・魚釣り名人来校校長室のお客さん4年生の社会科で・・・味噌づくり講習会&委員会発足5年生学級活動(3)&ウポポイ開館・・・北海道白老町でアイヌ文化の発信拠点となる国立施設、「ウポポイ」が、12日、オープンしました。 オープンした、ウポポイには、北日本で初めての国立博物館などが整備され失われつつあるアイヌ文化を復興・発展させる拠点としての役割が期待されています。 ウポポイは、アイヌ語で「大勢で歌うこと」という意味で、明治時代以降に本格化した、いわゆる同化政策の影響で差別や偏見に苦しんできたアイヌの人たちにとって重要な施設となります。 開業を記念する式典では、北海道の鈴木知事が「全国のアイヌの皆さんや地元にとっても大切な施設だ。多くの人に愛され、末永く親しまれる施設にしていきたい」と述べました。 北海道アイヌ協会の加藤忠常務理事は、「ウポポイは、対話と交流を通して完成した。多くの皆さんに見ていただきたい」とあいさつしました。 そして、テープカットが行われ、訪れた人たちがホールでユネスコの無形文化遺産に登録されているアイヌの古式舞踊などを鑑賞していました。 また、国立アイヌ民族博物館の展示室には、アイヌの人たちの生活を今に伝える道具や資料など、およそ700点が展示されています。 「イヨマンテ」と呼ばれるアイヌの精神文化を代表する儀式の道具も再現され、訪れた人たちは、飾りがつけられたヒグマのはく製や伝統的な文様の民族衣装などを足を止めて見入っていました。 ウポポイには再現されたアイヌの伝統的な集落もあり、訪れた人たちが「チセ」と呼ばれる家で神様に祈りをささげる儀式について説明を受けていました。 ウポポイは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、当面、入場を予約制にしているほか、アイヌ料理を作る体験プログラムなども実施を見合わせています。 また、国立アイヌ民族博物館の入館には別途、オンラインでの予約が必要で、ホームページを確認してほしいということです。 リモート授業体験最終・・・ |
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